週報1462回 2018年1月25日

司会:三代川(彦)会員
●点鐘 〔三代川文史朗会長〕
●ロータリーソング 「我等の生業」
●会長挨拶 〔三代川文史朗会長〕
皆さんこんにちは
国際ロータリーの次年度会長バリー・ラシン氏(バハマ、イーストナッソー・ロータリークラブ所属)が、2018-19年度テーマ「インスピレーションになろう」を発表「何か大きなことに挑戦しようというインスピレーションをクラブやほかのロータリアンにあたえてください。自分よりも長く、後世にも生き続けるものを生み出す為に、行動を起こす意欲を引き出していただきたいものです」。
ビジョン声明では、「私たちロータリアンは、世界で、地域社会で、そして自分自身での中で、持続可能な良い変化を生むために人びとが手を取り合って行動する世界を目指しています」。ビジョン声明の意義を強調し、声明が目指すロータリーを実現するためにリーダーシップを発揮するように求めました。
・ポリオ撲滅の進展
予防接種活動やサーベイランス(監視)の重要性
・環境の接続可能性を守る
環境汚染や気候変動という厳しい現実をロータリアンが認識すべきである。
ロータリーのすべての奉仕活動をクラブだけではなく、地域全体にとってのインスピレーションとなる必要性を意味すると述べます。
接続可能な活動成果をもたらし、世界をより良くしたいと私たちは願っています。ロータリー内部やロータリアンのためだけでなく、世界全体のあらゆる人たち、あらゆる世代のために、私たちができることがあるのです。

●幹事報告 〔三田英志幹事〕
1.IM出席者確認のお願い
3月16日(金) 14時30分受付
ウィシュトンホテル・ユーカリ
●委員会報告
〇職業奉仕委員会 〔伊東弘樹委員長〕
2月8日(木) 羽田の移動例会は、商工会議所
8時出発となります。

〇親睦活動委員会 〔三代川彦博リーダー〕
4月5日(木) お花見を開催致しますので、皆さんで楽しめる名所等をお知らせ下さい。
また年に一度の親睦旅行を予定しております。
5月27日・28日、多くの参加をお願い致します。

●ニコニコボックス
井本会員 心筋梗塞退院の心付け

●卓話
〇平山博己会員

・国際大会参加
国際大会参加について一昨年韓国ソウル、昨年アトランタ、アトランタは一人旅になりました。ワシントンDCに最初に行き次にアトランタ、最後にシカゴ、アトランタも素晴らしい大会でした。今年度はカナダトロントです。一身上の都合で行けません。ほとんど毎年参加して来て行けないのは残念で寂しいです。ただ次年度はドイツ・ハンブルク、次はハワイ、その次は台湾と計画です。私は今後も出来るだけ参加の予定です。是非皆さんも一緒に参加しましょう。特に若い皆さんの参加を希望します。
・自分の歩んできた道について皆さんこんにちは平山です。
新しい在籍年数の少ない方々は、私の事をあまり知らないと思いますので、自分の歩んできた道について話をさせて頂きます。言わば自分の職業奉仕です。
テーマは「ナンバー2・二番の男・一番になれない自分」です。私は成田空港に隣接している小さな田舎町多古町、21日の日曜日にはNHKで町おこし、行政と共に大和芋と多古の黒米をアピールしていました。甥っ子も少しだけ出ていました。私は高校までそこで過ごしました。
父も兄もロータリアンでした。大学は中央大学・法学部に入学です。(後輩には高橋勝会員がいます)法律学科と政治学科両方受験しましたが、政治学科だけ受かりました。本命は法律でした。自分は落ちないと自信を持っていましたが、その結果に強いショックを受けました。
この時から一番になれない男・自分が始まった気がします。
私は入学式の為3月31日に上京したのですが、昭和33年3月31日その夜12時過ぎをもって4月1日より売春防止法(防売法)が施行された日でもありました。友人とその光景を観ようと池袋北口に行きました。
そこには口紅を真っ赤に塗った夜の女性が沢山立って客を引いていました。俗に言われるPAN・PANだと友人が言っていました。ぽん引きでした。アメリカ兵(進駐軍)も沢山まだいました。その道にはバラック建でゴザの様なもので囲まれた粗末な小屋でした。今でもはっきりとその光景は記憶に残っています。
入学後、司法試験・弁護士を目指して猛勉強をしました。朝から夜中の2時、3時まで六法全書と問題集をやり、かなり自信がつき順調に2年生の中頃まで来た時、体調の異変に気がつきました。痰の中に血が混ざり始め六法全書に吐血をしてしまいました。咳込み、発熱、だるい、気持ち悪い生活が毎日続きました。医者からこの様な不規則なハードな生活は絶対ダメだと強く言われ、ドクターストップにあいました。私は散々迷った挙句、司法試験受験はあきらめました。目的を貫徹出来ない、一番になれない二番目の自分がそこにいました。その後静養しながら学校には行きましたが、授業に熱が入らずブラブラの生活でした。成績も落ちる一方でした。
2年生の終わり頃にはダンスホール通いをしていました。上野池之端には銀馬車、新橋には新世紀等でミラーボールがキラキラと輝く下で、派手なドレスを着た妖艷なダンサーとチークダンスに現を抜かす、酒と女にドップリとのめ込んだ毎日でした。
そんなある日、私の下宿に鹿島建設の人事担当者と名乗る二人が訪ねて来ました。
成績が落ち司法試験も受けない様ですが、法学部から商学部に学部替えをし、井上達夫教授のゼミを受けて下さい、鹿島はこれからスーパーコンピュータを導入し、現場の原価管理、労務・安全管理を集中し集約します。そのスタッフに商法を学んだ貴方が是非必要ですと口説かれました。これからオリンピックを控え会社は急激に発展し大きくなります。そして社員の最高位であります重役待遇理事までは保証しますと、ダメ押しを言われました。堕落して失意の底を悶々としていた自分でしたので、有難いオファーと受け止め鹿島建設に入ることに同意しました。法律家になれない二番目の自分がいました。
その後建設関係は未曽有の好景気の時代を迎えます。オリンピック期、バブル期へ怒涛の速さで突き進みます。その頃鹿島の宣伝映画が放映されます。「超高層のあけぼの」です。鹿島建設が施工した日本で初めての超高層、霞か関ビルを舞台にした映画でした。36階の鉄筋の組み立てに世間が驚愕し、狂喜したドキュメンタリー映画でした。土木では映画「黒部の太陽」鹿島と間等 JVが、黒部峡谷に黒四ダム建設をする。超難工事に果敢に挑戦し、見事に完成させた涙と感動の映画でした。その後鹿島建設中興の祖と言われた鹿島守乃助が参院選に立候補、全国区で 120万票を取りトップ当選し、一躍世間の注目を浴びました。佐藤内閣時には法務大臣まで登り詰めレジェントになりました。それこそ建設の春の時代でした。
私の最初の赴任先はTBS新館でした。快適な宿舎も与えられ待遇も良い生活でした。給料はスーパーゼネコン4社の中で遜色のない金額でしたが諸手当も結構ありました。さらに驚いた事に賞与が本社の正式ボーナスと現場ボーナスがありました。今では絶対に考えられない悪い習慣であったと思います。TBS工事の私の宿舎の隣にはTBSゴルフ練習場があり、陳清波プロがレッスンをしていました。工事場の隣TBS放送局では美空ひばり、石原裕次郎等が歌の吹込みをやっていました。ドラマでは7人の刑事、石井ふく子も毎日の様に来ていました。
私は22歳から60歳まで鹿島で勤務しましたが、まあまあ満足のいくサラリーマン時代でありました。時代が良かった故でした。ただし、社員間の競争は厳しく熾烈でありました。私は最終的に役員になれず、重役待遇理事で終わりました。結局1番になれず定番の2番の人生でありました。
その後花屋を初めて18年順調にここまで来ました。私が花屋を選んだ理由に花を販売した時、お客様がニコット喜んでくれるからです。お金を頂いて喜ばれるのは花屋だけで花屋冥利につきます。もう一つは利幅がまあまあだからです。近いうちに不動産業を開きますが、物販業は通販に押される事を危惧されるからです。
結びとしてこれだけ「二番の男、一番になれない自分」がこれだけ続きますと、二番が一番、二番が一番と思う様になりました。

出席委員会報告       朱委員
会員数 出席 欠席 出席率 免除 メークアップ
50  27 14 67.35%  1   6
担当:小菅会報委員

週報1462回 2018年1月25日



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